ヒトリノ夜

 ボヘミアンラプソディを観てきた。クイーンのボーカリストであるフレディ・マーキュリーの青年時代から亡くなるまでの半生を描いたノンフィクション映画である。さすがにスーパースターの半生を描くのには、時間がかかるらしく、上映時間はなんと2時間半。しかし、観てる人々には2時間半をあっという間だと感じさせる、それほどにスピーディかつ惹きつける作品だった。

 普通の映画なら、このシーンがポイントだ!というシーンが用意されているものだが、ボヘミアン・ラプソディは、見る人によって、印象的なシーンがそれぞれ異なりそうな作品である。さすがにスーパースターの半生を描いているものだから、スーパースターとしてのフレディを初め、アーティストとして、家族の中の長男として、難病患者として、同性愛者としてのフレディ、見せどころは多種多様であった。

  僕はどこが一番印象的だったかというと、フレディがポールに乗せられ、ソロ活動を始め、クスリ・ホモセックス漬けになり、そこから復帰するシーンだった。もちろん一番の見せ場のシーンだが、僕にとって印象的だったのは、メアリーに救われるところではなく、フレディが1人でうなだれ、苦しむシーンだった。孤独で、何も信じられない、闇を追い払ったつもりでもまた闇が襲ってくるんだ、あの感覚は痛いほどに分かる。この世の誰も信用できなくなる気持ち。

 あのスーパースターフレディマーキュリーが孤独と闘う姿を見て、みんな同じなんだ、僕も孤独と心の闇に負けないようにしなければ、と思った。