ストレス・コーピング

 いつからか、ストレスという言葉をあちこちで耳にするようになった。流行語大賞でも取ってるんじゃないのかというぐらい。職業柄、医学の勉強(初歩的なものですが...)をするようになったのだが、ストレスの本来の意味は、金属に対して圧力をかけたときに発生する抵抗、なんだそうです。それから転じて、生体に圧力をかけるものをストレッサー、ストレッサーを苦痛に感じたとき、その一連の現象をストレスと呼ぶんだそう。

 

 逆に言えば、何か嫌なことがあったときそれを苦痛に感じなければ、それはストレスではない。例えば、奥さんから小言を言われても、「あ〜また小言か、適当に聞き流そう」と、ちくわ耳で流してしまえばそれはストレスではないということになる。

 

 昔、僕の祖母が祖父について語っているとき、「この人の一番いいところはストレスを溜めないところ」と言っていたが、「溜めない」という表現がしっくりくる。ストレスを「発散する」のではなく、最初からストレスと感じていない、すなわち「溜めない」のである。

 

しかし、現実にはちくわ耳で流せることばかりではないので、溜まったストレスをいかに発散するかが大事になる。誰もが自分なりのストレス解消法を持っていることかと思う。例えば、血気盛んな20代女性なんかだと彼氏以外の人とするのがストレス発散だわ、なんて人もいるかもしれない。

 

ただ、最近僕は自分のストレス解消法に疑義を抱くようになった。というのは、今までは読書やら気の合う女の子と遊ぶのが最高のストレス発散だと思っていたが、厄介な仕事の案件を思い通りにすすめられたとき、心がスーーっと軽くなった気がしたからである。このスーーっと、というのは実に物理的な感覚だった。精神が安定する、というよりも心の中の荷物を積み下したかのうような。

 

結局は、仕事のストレスは仕事でしか、人間関係のストレスは人間関係でしか、根本的には解決できないのではないかなぁ、と当たり前のことを思った。ストレス溜まったからってタバコ吸ってもスタバ飲んでも解決しないんだよなぁ、悲しいことに。